2014年11月11日 最終更新日2024年03月27日 by admin

at FUKUSHIMA

某月

かねてからの念願であった

福島県での仮設住宅訪問が実現した

 

3.11東日本大震災以降

福島県へ出向くのはこれで3回目

 

被災地をこの目で見たいと願うも

交通手段に大がかりなサポートを要する

私が行けばかえって迷惑なのでは?

被災地まで足を運ぶことができなかった

 

今回、機会を与えてくれたのは

全国頸髄損傷者連絡会の4県合同交流会と

四肢麻痺者の情報交換誌「はがき通信」

2つの団体が仮設住宅訪問を実現させてくれた

 

電動車椅子が4台ほど乗る

マイクロバスをチャーターし

いざ南相馬市へ

 

ルートは

福島市から川俣町を通り飯館村

そして南相馬市原町区から

南相馬市へ入った

 

川俣町に入ったくらいから

人の姿が少なくなったように感じた

道路脇に放射能汚染土が入れられた

黒い土嚢袋の山も見え始めた

飯館村に入った頃には

ほぼ人の気配を感じなくなった

 

言いようのない怖さを感じた

テレビのニュースで見るより

実際に見た

景色が

空間が

あまりに無機質であったことに

ショックを受けた

 

コーディネートしてくださった方が

津波被害のあった地区を

視察コースに選定してくれた

感想は…

 

まだ何も復興してないやん!

 

何してんねん!国は!

 

何にも知らなかったやん…オレ…

 

無関心ではなかったけど

見ていたような気でいた

 

でも

不謹慎だが

自分の目で見られて本当に良かった

 

同時に

何をすればよいのかという思いが

胸を掻きむしる

 

仮設住宅で

浪江町から非難されている

被災者に話を聞くことができた

原発事故をテレビで知ったこと

最初は避難指示などなかったこと

避難所を転々と移ることを余儀なくされたこと

この国がこれまでの震災から

何も学んでいないことがよくわかる

 

それでも

被災者は強く語られた

「いつか戻って生活を築き直したい」

 

負げでたまっか!

 

人は強い

かつての神戸がそうであったように

東北が元気を取り戻せるよう

私にできる限りのことをやろう

まだやらなイカンことが山ほどある

※多くの写真がありましたが、生々しいものもあるため掲載は控えました。

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