at FUKUSHIMA

 

某月

かねてからの念願であった

福島県での仮設住宅訪問が実現した

 

3.11東日本大震災以降

福島県へ出向くのはこれで3回目

 

被災地をこの目で見たいと願うも

交通手段に大がかりなサポートを要する

私が行けばかえって迷惑なのでは?

被災地まで足を運ぶことができなかった

 

今回、機会を与えてくれたのは

全国頸髄損傷者連絡会の4県合同交流会と

四肢麻痺者の情報交換誌「はがき通信」

2つの団体が仮設住宅訪問を実現させてくれた

 

電動車椅子が4台ほど乗る

マイクロバスをチャーターし

いざ南相馬市へ

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ルートは

福島市から川俣町を通り飯館村

そして南相馬市原町区から

南相馬市へ入った

 

川俣町に入ったくらいから

人の姿が少なくなったように感じた

道路脇に放射能汚染土が入れられた

黒い土嚢袋の山も見え始めた

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飯館村に入った頃には

ほぼ人の気配を感じなくなった

 

言いようのない怖さを感じた

テレビのニュースで見るより

実際に見た

景色が

空間が

あまりに無機質であったことに

ショックを受けた

 

コーディネートしてくださった方が

津波被害のあった地区を

視察コースに選定してくれた

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感想は…

 

まだ何も復興してないやん!

 

何してんねん!国は!

 

何にも知らなかったやん…オレ…

 

無関心ではなかったけど

見ていたような気でいた

 

でも

不謹慎だが

自分の目で見られて本当に良かった

 

同時に

何をすればよいのかという思いが

胸を掻きむしる

 

仮設住宅で

浪江町から非難されている

被災者に話を聞くことができた

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原発事故をテレビで知ったこと

最初は避難指示などなかったこと

避難所を転々と移ることを余儀なくされたこと

この国がこれまでの震災から

何も学んでいないことがよくわかる

 

それでも

被災者は強く語られた

「いつか戻って生活を築き直したい」

 

負げでたまっか!

 

人は強い

かつての神戸がそうであったように

東北が元気を取り戻せるよう

私にできる限りのことをやろう

IMG_2209

まだやらなイカンことが山ほどある

※多くの写真がありましたが、生々しいものもあるため掲載は控えました。

 

 

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